対談

This is my Work: 井上 芹加

2020.05.02

井上 芹加 INOUE SERIKA

1999年生まれ。福岡出身。2020年に福岡ベルエポック美容専門学校 ヘアメイク科を卒業。現在東京に上京し、M's hair&make-upにてアシスタントをしています。

ヘアメイクの流儀

「ジャンル問わず活躍出来るヘアメイクになる為、一つ一つの現場に感謝し日々学ばせて頂いております」

井上さんがヘアメイクになったきっかけを教えてください。

私がヘアメイクの仕事をしたいと思ったのは高校3の春でした。それまではこれがしたい!というのは特になく、物を作る事が好きだったので服飾や調理が学べて部活推薦を頂いた高校に進みました。学生時代は私は運動神経がいいわけでもなく、走るのも苦手なタイプでしたが、小6からずっとソフトテニスをしていました。

何故、運動が苦手なのに続けていたかというと、テニスが大好きだったからです。苦手だからこそ、沢山努力しました。そのおかげで部活推薦を頂き、高校に入学しましたが、高2の時に腰を痛め、2度目のドクターストップにより病院の先生から将来の事を考え部活を辞めるよう勧められました。大好きだったものがなくなり部活推薦で入学していたので顧問の先生とも険悪になり学校も不登校気味になりました。

部屋に篭もる日々が続いた時、私は幼い頃から好きだったジャッキー・チェンさんの映画を見ました。彼の映画に対する情熱と映画に込められたメッセージに沢山の勇気と希望を貰いました。彼と一緒にお仕事がしたいと思いました。そこからどうしたら一緒にお仕事が出来るのかを考え始め、小さい頃からメイクやコスメを見たりヘアアレンジをするのが好きだった事に気づき、ヘアメイクという仕事を調べ始めました。ですが、この時はまだふわふわとした感情でしかありませんでした。

そんな時、友達にあるライブに誘われて行くことになりました。そこで私はそのアーティストの歌に感動し背中を押してもらいました。ヘアメイクになったら見に来ているお客様の感動にも携われるんだということに気づきました。それはライブだけでなく、ドラマや映画、雑誌やPVなど、ヘアセットやメイクによってタレントさん自身の気持ちを上げたり、かっこよく、可愛いく仕上げて、それを見ている方の感情も動かせるようなヘアメイクになりたいと強く思いました。

専門学校に行くことにご両親から反対はありましたか?

専門学校に行く事に親の反対は無かったものの、母子家庭で裕福ではなかった為、奨学金とバイト代で学費の支払いをしながら福岡の美容学校に通いました。毎日片道2時間かけて学校に行き、バイトを掛け持ちしたり市内の方が時給がいい為終電までバイトして、やれる事は全部やるチャンスがあれば挑戦すると決めて入学したので、土日はオーキャンのスタッフ、現場があれば積極的に手を挙げました。元々、内気で人見知りで1人行動が苦手で目立つ事はあまりしたくない性格だったのですが、ヘアメイクになりたいという夢が出来て変われました。

アシスタントとして大切にしている事は?

私が大切にしていることは、敬意と謙遜心です。全ての方に対して敬意を持って接し、そして今の私があるのは私に関わって下さった全ての方のおかげです。家族はもちろん、友達、先生方、事務所の方々、現場で出会った方、私は今まで出会った方々に支えられ日々学ばせて頂きながら夢を叶えるために毎日を送っております。

私はまだ、ヘアメイクとしてのお仕事はなくアシスタントですが、全てのお仕事が楽しいです。初めての場所やお仕事の前は毎回、吐きそうなくらいとても緊張します。だけど、ヘアメイクに関わる事が大好きなので、帰り道で楽しかったな~といつも思います。

これから、もっと緊張する場面や壁にぶつかる事もあると思います。どんな時でも敬意と謙遜心、そしてヘアメイクが大好きな気持ちを忘れず、夢を追いかけたいと思います。